「働き方改革」が現場を壊す?建設業界が抱えるリアルな矛盾
朝5時、まだ夜の静けさが残る現場に、一番乗りで灯りがともる。
冷たいアスファルトの匂いと、微かに聞こえる重機の寝息。
この瞬間が、俺はたまらなく好きだ。
だが最近、この静かな時間に考え込むことが増えた。
「働き方改革」
その言葉が、俺たちの現場に届いてから、何かが少しずつ、だが確実に変わり始めている。
「休みは増えるはずなのに、なぜか前よりキツい…」
「残業は減った。でも、本当に若手は育っているんだろうか?」
もし、あんたも同じような胸のつかえを感じているなら、この記事はあんたのために書いたものだ。
俺は橘 悠馬。高校を卒業してから20年以上、泥と汗にまみれて生きてきた。
職人として工具を握り、現場監督として図面と睨み合い、今は「BuildNote」というメディアで現場の声を届ける仕事をしている。
この記事を読めば、その矛盾の正体と、俺たち現場の人間が誇りを失わずに、この変化の時代を生き抜くための具体的なヒントが見えてくるはずだ。
机上の空論じゃない。
俺がこの目で見て、この肌で感じてきた、現場のリアルな話だ。
Contents
なぜ「働き方改革」は、崇高な理念とは裏腹に現場を追い詰めるのか?
「働き方改革」という言葉は、まるで正義のヒーローのように聞こえる。
長時間労働をなくし、休みをしっかり取る。
誰もが望む、正しい未来のはずだ。
だが、現場に立つ俺たちの実感は少し違う。
その崇高な理念が、なぜか俺たちの首をじわじわと締め付けている。
その構造的な矛盾を、まずは一緒に見ていこう。
理想と現実の巨大な溝:週休二日制と「見えない工期」
国は週休二日制を強く推し進めている。
もちろん、休みが増えること自体に文句のある職人なんていやしない。
問題は、そのしわ寄せがどこに来るかだ。
発注者から提示される工期は、昔と変わらない。
いや、むしろ短くなっていることさえある。
「休みは増やせ、でも工期は守れ」
これは、単純な引き算だ。
これまで5人で10日かかっていた仕事を、休みが増えたからといって5人で8日で終わらせろと言われているようなものだ。
結果、どうなるか?
1日あたりの作業密度が、異常なまでに高くなる。
朝礼が終われば、息つく暇もなく作業に取り掛かり、昼飯はかきこむように済ませ、休憩時間も次の段取りで頭がいっぱいだ。
身体は休めても、心が休まらない。
これが、週休二日制の裏側で起きている、偽らざる現実じゃないだろうか。
「時間で縛る」ことの落とし穴:サービス残業と若手の疲弊
2024年4月から、ついに俺たちの建設業界にも残業時間の上限規制が本格的に適用された。
これは大きな一歩だ。
だが、仕事の総量が減っていないのに、時間だけを縛れば、どこかに歪みが生まれるのは当たり前の話だ。
「最近、残業代で稼げなくなった」
そんなぼやきを、仲間からよく聞くようになった。
生活のために残業代をあてにしていた職人にとっては、死活問題だ。
もっと深刻なのは、記録に残らない「見えない労働」が増えていないか、ということだ。
現場で終わらなかった若手が、家に帰ってから明日の段取りを考えたり、資格の勉強をしたり。
それは自己投資と言えば聞こえはいいが、実質的な持ち帰り仕事と変わらない。
理念だけが先行し、現場の実態が置き去りにされている。
その結果、真面目な人間ほど追い詰められていく。
そんな働き方改革に、一体なんの意味があるんだろうか。
そもそも土台が揺らいでいる:深刻な人手不足という現実
そして、全ての矛盾の根っこにあるのが、この業界の構造的な問題だ。
そう、圧倒的な人手不足。
ベテランの職人たちが次々と引退していく一方で、若い世代がなかなか入ってこない。
現場を見渡せば、白髪頭の親方たちばかりが目につく。
彼らが持つ経験と勘が、今のかろうじての品質と安全を支えている。
そんな状況で、労働時間だけを減らせというのは、土台がグラグラの建物に、さらに重い荷物を載せるようなものだ。
人が足りないから、一人ひとりの負担が増える。
負担が増えるから、若手が辞めていく。
そして、さらに人が足りなくなる。
この負のスパイラルを断ち切らない限り、どんな立派な制度を作ったって、現場は疲弊していく一方だ。
働き方改革は、この揺らいだ土台の上に、砂上の楼閣を建てようとしているように、俺には見えてならない。
俺がこの目で見てきた、「働き方改革」が引き起こした3つの悲劇
理屈は分かった。
じゃあ、具体的に現場で何が起きているのか。
俺が監督として、そしてメディアの人間として見てきた、笑えない現実の話をしよう。
これは、どこかの誰かの話じゃない。
あんたの隣の現場でも、起きているかもしれない悲劇だ。
悲劇1:「教える時間」の消失と、技術継承の断絶
昔は、仕事が終われば自然と先輩の周りに若手が集まったもんだ。
「親方、その墨の出し方、もう一回見せてもらえませんか?」
缶コーヒーを片手に、そんな会話が当たり前にあった。
道具の手入れの仕方、ちょっとした仕事のコツ。
そういう図面には書かれていない大切なことは、すべてその「残業とも言えない時間」で教わってきた。
だが今はどうだ。
定時になれば、みんな蜘蛛の子を散らすように帰っていく。
「お先に失礼します」
その言葉が、まるで技術の伝承を断ち切る合図のように聞こえる時がある。
若手は、先輩の背中を見て覚えるしかない。
だが、今の猛烈な作業スピードの中で、盗める技術なんてたかが知れている。
結果、いつまで経っても簡単な作業しか任されず、成長を実感できないまま、静かに現場を去っていく。
これほど悲しいことはない。
悲劇2:書類仕事の山が、現場の安全を脅かす
「働き方改革」を進めるために、皮肉なことに書類仕事は増える一方だ。
労働時間管理の報告書、安全教育の実施記録、週休二日制の達成状況…。
パソコンと向き合う時間ばかりが増え、現場を自分の足で歩く時間が確実に減っている。
俺にも、忘れられない失敗がある。
32歳の頃、監督として大きな現場を任されていた。
納期に追われ、書類の作成に忙殺されていた俺は、現場の確認を少しだけ疎かにしてしまった。
その結果、配管の接続ミスを見逃し、大規模な水漏れ事故を起こしてしまったんだ。
工期は遅れ、多額の損害が出た。
だが、一番辛かったのは、職人たちの信頼を失ったことだ。
あの時、俺は痛感した。
現場の安全は、パソコンの画面の中にあるんじゃない。
職人の顔色、機械の音、土の匂い、五感で感じる全ての中にあるんだと。
現場を歩く時間が奪われることは、現場の安全が奪われることと、ほぼ同義だ。
悲劇3:「助け合う文化」の崩壊
「自分の仕事が終わったら、さっさと帰るのが正しい」
そんな空気が、いつの間にか現場を支配していないだろうか。
もちろん、無駄な残業はすべきじゃない。
だが、俺たちの仕事は、一人じゃ絶対に成り立たない。
隣の職人が困っていたら、手を貸す。
遅れている工程があれば、みんなで助けに行く。
その「ひと手間」の余裕が、チームの一体感を生み、結果的に現場全体の生産性を上げてきたはずだ。
しかし、時間管理が厳しくなればなるほど、人々は自分のタスクにしか目を向けなくなる。
「それは、俺の仕事じゃないんで」
そんな言葉が聞こえてくる現場は、もうチームじゃない。
ただの個人の寄せ集めだ。
そんな場所で、良いものづくりなんて、できるはずがない。
「現場は一人で背負う場所じゃない。信頼を築く場所だ」
俺が失敗から学んだ、たった一つの真実だ。
それでも、俺たちは現場で未来を築く。矛盾の先に見える光とは
ここまで、厳しい話ばかりしてきた。
じゃあ、俺たちはただ文句を言って、時代の流れに飲み込まれるしかないのか?
そんなことは絶対にない。
「現場に、嘘はない。」
俺の信条だ。
この厳しい現実とまっすぐ向き合った時、初めて俺たち自身の力で未来を切り拓く道が見えてくる。
原点回帰:「一人で背負わない」チームをどう作るか
俺が配管事故でどん底にいた時、救ってくれたのはベテランの職人の一言だった。
「監督、一人で背負い込むな。俺たちがいるじゃねえか」
あの言葉がなかったら、俺はとっくにこの業界を辞めていただろう。
結局、俺たちが立ち返るべき場所は、ここなんだ。
強いチームを作ること。
働き方改革の時代だからこそ、意識的にコミュニケーションの機会を増やさなきゃいけない。
朝礼で、今日の作業内容だけでなく、「最近、どうだ?」と一言声をかける。
休憩中に、他愛もない雑談をする。
そんな小さな積み重ねが、現場の空気を変え、いざという時に助け合える信頼関係の土台になる。
バラバラの個人ではなく、一枚岩のチームを築くこと。
それが、あらゆる問題解決のスタートラインだ。
「時間」ではなく「段取り」で勝負する
残業ができないなら、どうするか。
答えは一つだ。
限られた時間の中で、最大限のパフォーマンスを発揮するしかない。
つまり、「段取り」で勝負するということだ。
俺たちが現場で失っている時間って、実は結構ある。
資材が届くのを待つ「手待ち時間」。
同じような作業を何度も繰り返す「非効率な手順」。
朝、作業を始める前に、職人たちと徹底的に話し合う。
「今日はこの手順でいこうと思うが、もっと良いやり方はないか?」
「Aの作業とBの作業、一緒に進められないか?」
現場を知り尽くした職人たちの知恵を借りれば、無駄は必ず見つかる。
ICTや最新のツールを使うことも、これからは必須になるだろう。
だが、その前に、俺たちの頭とコミュニケーションで改善できることは、山ほどあるはずだ。
最近では、俺たちのような中小の建設会社を助けてくれるDXサービスも増えてきた。
例えば、建設業界に特化したサービスを提供しているブラニューのような専門企業も、現場の声を直接聞くためのイベントを開いているらしい。
こうした外部の専門家の力も上手く使っていく視点が、これからの時代には不可欠になるだろうな。
勇気を持って「声」を上げる。現場のリアルを経営に届ける
そして、最後にもう一つ。
現場の苦しさを、俺たちの中だけで抱え込んではいけない。
「この工期では、週休二日を守れば、どうしても品質が落ちます」
「人を増やしてくれないと、若手を育てる時間が確保できません」
具体的なデータや事例を添えて、経営層や発注者に勇気を持って声を上げること。
これも、これからの現場監督やリーダーの大事な仕事だ。
黙っていては、何も変わらない。
現場のリアルな声を届けることでしか、本当の意味での「働き方改革」は始まらないんだ。
俺が今、こうしてペンを握っているのも、その一つの形だと思っている。
まとめ
長くなったが、俺が伝えたかったことはシンプルだ。
- 「働き方改革」は、工期や人手不足という現実を無視しているため、現場に大きな矛盾を生んでいる。
- その結果、「技術継承の断絶」「安全の軽視」「チーム文化の崩壊」といった悲劇が起きている。
- だが、俺たちは決して無力じゃない。「チームの再構築」「段取りの徹底」「勇気ある提言」によって、この逆境を乗り越える力を持っている。
「働き方改革」は、現場を無視すれば、単なる「改悪」になる。
しかし、俺たち現場の知恵と工夫を加えれば、未来を創るための強力な「武器」になるはずだ。
俺たちの仕事は、ただ図面通りに建物を建てることじゃない。
そこに住む人、働く人の暮らしや未来を築くことだ。
その誇りを、どんな時代の変化の中でも、決して手放してはいけない。
「図面にない価値を作ろう。」
明日も、安全第一でいきましょう。